車いすバスケットボールの丸山弘毅選手が、2019年9月1日付で入社しました。LINEでは、世界に向けて羽ばたくアスリートの活動を支援しており、丸山選手を含め、パラ陸上の山路竣哉選手、木村勇聖選手、緑川秀太選手、女子車いすバスケットボールの北田千尋選手、車いすラグビーの菅野元揮選手という6人のアスリート社員が在籍しています。

今回は、社内手続きで来社した丸山選手にいまの気持ちや競技の魅力、自身が見据える今後について語ってもらいました。


丸山 弘毅(まるやま こうき)
車いすバスケットボール選手。1996年9月4日生まれ。長野県出身。生まれつき両手の指の数が少なく、半肢症による両下肢障害を負う。高校1年生のとき、初めて車いすバスケットボールを経験する。その後、「長野車椅子バスケットボールクラブ」に所属。2016年4月、U-23男子日本代表に初招集され、2017年6月にトロントで行われたU-23世界選手権では、世界4位に貢献。現在は、「パラ神奈川スポーツクラブ」に移籍して、A代表入りをめざしてトレーニングに励んでいる。

――まずは、入社したきっかけを教えてください。

丸山:LINEに入社する以前は、地元・長野のチームに所属して競技活動を行っていました。その後、チームの移籍に伴って関東を拠点に活動することが決まりました。そのときに以前からご縁のあった、アスリートと企業をつなぐ支援会社の方からLINEを紹介していただいたのがきっかけです。

元々、LINEにはいろんな競技のアスリートが在籍していて、障がい者への理解が深い会社という印象がありました。改めていろいろ調べているうちに、すごくアスリートを応援してくれる会社だと感じて入社することを決めました。


「一度、交流試合をしたことのある北田選手や、何度か会話した車いすラグビーの菅野選手が在籍しているのも安心感につながりました」

――丸山選手が車いすバスケを始めた、いきさつを教えてください。

丸山:初めて車いすバスケをしたのが高校1年生のときで、意識的に車いすに乗り始めたのもそのときからです。僕の場合、3歳ごろから義足をつけて生活していたので、自分の足として義足が当たり前だったというか。

物心ついたときには健常者と一緒に運動したり、小学校の休み時間には体育館でバスケをしたり。そのときにバスケの楽しさを知って、中学校ではバスケ部に所属しました。

――部活のバスケから、どのような流れで車いすバスケにつながったんですか?

丸山:バスケ部では自分がやれる範囲の練習をみんなとやって、それ以外はマネージャーを兼ねていました。高校でもバスケを続けたいけど、体格の大きい選手も多くなるし、激しさも増すので中学までが限界かなって。「自分がプレイヤーとして続けられる競技ってなんだろう?」と考えていた時期に、たまたま読んだ車いすバスケの漫画「リアル」に衝撃を受けたんです。漫画でも伝わるぐらい激しくて、とにかくかっこいいって思ったのを覚えています。

高校生になってから、地元の大学に「信州大学車いすバスケットボール部SEROWS」の案内を見つけたんです。「高校生ですが参加していいですか?」と連絡したら、「ぜひ」と返事をいただけたのがきっかけで、車いすバスケを始めました。

全身で風を切る疾走感が、本当に気持ちよかった


――実際に初めてプレーしてどうでした?

丸山:漫画で読んだ以上に激しかったです(笑)。みんな、容赦なくぶつかってくるので、怖いなと思いましたが、「むしろそれが楽しい!」と、自分からドンドンぶつかりに行った記憶があります(笑)。何よりも、競技用の車いすのスピードや動きやすさに驚きました。初めて車いすに乗った瞬間から速く走らせることができたので、体験したことのないスピードに感動しました。

バスケの楽しさを味わいながら、車いすのクイックな操作やぶつかり合いが面白くて、初日からのめりこみましたね。


競技の魅力に挙げていたスピーディーな車いすさばきは、のちに丸山選手の武器に。

――高校を卒業後、長野県内の社会人チームに所属して、U-23代表に招集されたそうですが。

丸山:仕事を終えて練習に向かう途中、車いすバスケットボール連盟の方から「パスポートの取得をお願いします」と連絡があったんです。「なんだろう?」と思ったんですが、その2カ月後にU-23の日本代表として、ドバイで行われた国際試合の会場にいました(笑)。

そこで初めて海外選手と試合をしたのですが、車いすに乗っているのにもかかわらず、体格の大きさに驚きました。腕も長いので、通るはずのパスがカットされたり、シュートも思うようにできなくて本当に悔しかったです。


海外選手とのレベルの差を痛感。同時に「もっと、世界で戦いたい」という気持ちが芽生えた。

世界をめざすための決断、新しい環境


――代表に招集されたことで、どのような変化がありましたか?

丸山:それまで、平日は地元で公務員として働きながら、夜は社会人チームの練習に参加して、年に何度かの国内大会に出場していました。ただ、「日本代表として世界をめざす」となると、このままじゃいけないなって。そんな思いを持ちつつも、いくら海外をめざすといっても安定した公務員を辞める覚悟や、辞めた後の保証もないですし……。そんなとき、企業とアスリートをつなぐ支援会社があることや「アスリート社員」という働き方を知りました。親や周りの方に相談したり、悩みに悩んだ末、公務員を辞めて企業に入り、アスリート社員として競技に専念しようと決めました。

その後、同じU-23日本代表メンバーが所属する「パラ神奈川スポーツクラブ」に誘ってもらい、神奈川に引っ越してきました。やっぱり、関東はアスリート人口も多いし、同じチーム内にU-23代表メンバーがいて切磋琢磨できるこれ以上にない環境だなって。地元を出て移籍したのも、ひとつ先の未来を見据えての決断です。


U-23代表でもある所属チームのメンバーとスキルアップしながら、「いずれはA代表で結果を出すことが目標」と語る丸山選手。

「信頼」される人間でありたい


――今後の目標を教えてください。

丸山:やっぱり、信頼されるプレイヤーになりたいですね。試合終了直前の残り数秒で、「丸山にボールを渡せば何か起こしてくれる」。そんな一瞬の判断で、安心してボールを預けてもらえるのは信頼されてこそだと思うんです。その部分は、社会人としても共通するというか。それを意識しながらLINE所属としての自覚を持って、大会で結果を出してメディアなどにアピールしていけたらと思います。そのためにもいまはA代表入りをめざして、日々のトレーニングに励んでいます。

「ちょっと語りすぎたかも……」と照れ笑いで締めてくれました。


「周りを活かしながら、シュートチャンスは確実に決める」得意とするミドルシュートは、数々の勝利に貢献。https://scdn.line-apps.com/stf/linecorp/ja/pr/OGP_CH5W3496-2.jpg